すべてが僕のチカラになるブログ。

「人生」「物語」を中心テーマに、日々感じたこと、考えたことをなんでも書き綴ります。

ICOは多分、神ゲー

長らく更新が滞ってしまったブログ。

 

書きたいことはボチボチ思い浮かぶのだけれど、文章をそれなりにきちんと纏めようと思うとなかなかに労力のいる作業だったりするわけで、書き続ける意義や意味をしっかり考えないと継続は難しいなと痛感させられる。(文章に限らず何でもそうだけど)

 

暑さで少々ダレ気味な日々の中で、感じる力と意志力が低下気味な感も否めない。

 

ここ最近、面白いと感じた一文がある。糸井重里氏とジャパネットたかたの元社長との対談中に交わされた『「感じる」が「思う」になり、「思う」が「考える」になり、「考える」が「行動」に繋がる』というもの。大元の「感じる」が抜けている行動は空虚なもので終わる可能性が高いし、「感じる」を抜きに「考える」をいくら繰り返しても行動には繋がらない。


頭では分かっているけどなかなか実行できないっていうのは、わりとこのパターンに当てはまっていたりするんじゃないだろうか。

 

何をどう感じるかは人それぞれだけれど、なるべく色んなことにアンテナを張り巡らせて、鋭い感性で日々を過ごしたいものである。

 

そんなわけで、今回は「体感するメディア」ゲームの話に繋げてみようと思う。

 

PSNowの利用権がセールになっていたので加入し、ずっとプレイしたいと思っていた「ICO」をプレイ。本作は「ワンダと巨像」や「人喰いの大鷲トリコ」などを制作した著名なゲームデザイナーの作品だ(初作品なのかは不明だが、発売年度は2001年と15年も前のものである)。ちなみにまだ2時間くらいしかプレイしていない。

 

プレイヤーは廃墟に閉じ込められた少年を操作し、敵の妨害を避け、マップの仕掛けを解きながら脱出を試みることが目的。早い話がゼルダの伝説のような謎解きアクションなのだけれど、ICOICOたらしめている理由は、共に脱出する少女を用意したところにある。

 

少女はマップの要所に設置された扉の鍵を開く力を有している。しかし、少女は基本的に受動的かつ無抵抗な存在なので、プレイヤーは謎の敵達(こいつらは少女を攫いにくる)から少女を守りつつ先導する必要に駆られる。

 

この「誰かを守りながら」という部分がおそらく「ICO」の最大の特徴で、もの凄く感嘆させられた部分。

 

少年は身軽でアクロバティックなアクションができるため、一人ならばスイスイと先へ進むことができるのだけど、少女はそういうわけには行かない。天井からぶら下がっている鎖をよじ登ることができないし、少し距離のあるジャンプには勇気づけをして手を差し伸べてあげる必要がある。

 

要するに、今までのアクションゲームのようにプレイヤー(操作するキャラ)だけが先へ先へと進めば良いというものではなく、必ず少女側の視点に立って、助けてあげる幅広い視野が求められるゲームだったりする。

この仕組みはゲーム性としても面白いのだけど、それ以上に共同体感覚、一心同体ともいうべきもの、もっと厳密にいうと人が誰かを支えてあげること、守ってあげること(その難しさや尊さ)を体感できるゲームと言っても過言ではない。


さらに、キャラクター設定が曲者なのだ。

 

少女はゲーム開始時に突然登場するため、主人公の少年とは一切の関わりがない。それなのに、プレイヤーは(特に思春期の男子ならばきっと)この少女を必死で守らなければならないという衝動に駆り立てられることだろう。
純白のワンピースに身を包んだ少女の体つきはか細く、其処彼処にあどけなさが漂っており、言葉数も少ない。囚われの身であり、謎の影(敵)に終われているという設定がミステリアスな雰囲気を助長する。


少年に手を引かれて歩く時の少女のたどたどしい足取りは、今にも散ってしまいそうな儚げな花のようで、見ているだけで不安になる程である。おまけに少女は危機感にも乏しい感じなので、自分がどうにかしなければという気持ちがより一層掻き立てられる。

男としては何が何でも死守しなければいけないような、か弱き乙女設定に僕はまんまと制作者の思惑に嵌められてしまっているのだろう。

 

そう考えればICOは、迫り来る魔の手から女の子を救出するシチュエーションに憧れる、ピュアな少年心を満たしてくれるゲームでもある。

 

さらに言うなら、主人公がまだまだ未熟な少年なのもミソになっていたりする。
主人公が百戦錬磨のヒーローならば、少女一人守ることなど造作もないことなのだけど、なにぶん本作の主人公は自分の身だけならどうにか守れるだろう程度の少年。年齢設定も(あくまで見た目上だけれど)少女よりも年下。手に持つ武器はどこにでも転がっているただの棒切れ一本。そして何より、少女の手を引いて走る時の二人のアンバランスな感じにこそ、ICOの全てが凝縮されているように思う。
「まだまだ未成熟な少年が、戦闘能力危機回避能力ゼロの少女を守る」という心許なさが、一歩進むごとに何が待ち受けているか分からない恐怖感に拍車をかけている。(まるでお化け屋敷を進んでいるかのような感覚がある)

 

計算され尽くしたキャラ設定のおかげで、合理性(システム側)だけでなく、感情の面からも少女を守らなければいけない理由が作られるため、こっちももうとにかく必死にならざるを得なくなる。

 

少女が崩れた足場(ほとんどの場所が落ちるとまず助からない高さ)を飛び越える時は毎度、ジブリの高所危機一髪シーンを見るかのような竦む思いを覚え、敵が襲来する場所では、夜道を恋人と共に歩いている最中、DQN数名に絡まれたかのような謎感覚で、少女を背に必死に木の棒を振り回している。

 

スマブラの作者の桜井政博氏が、扱うキャラクターの重量感によって操作感が異なる感覚(例えばガノンクッパなんかは重く感じ、カービィピカチュウは軽く感じる)のことを「コントローラのスティックが重くなる」と表現していたけれど、ICOをプレイしていると毎回それに似たような感覚に襲われる。

 

上記の場面、前者では叫び声をあげると共にボタンを押す指先に目一杯力を込め(レースゲームで曲がる方向についつい体を捻ってしまうようなもの。システム上は何の意味もない行為)、後者ではみっともないくらいにボタンを連打してゼェハァ息を切らす自分がいる(それくらい少女が敵にさらわれ、影に飲み込まれてのゲームオーバーは後味が悪く感じる)。

 

アクションゲームに対する感性がズバ抜けている人が作るゲームはほんとに凄いと思わされる(ほんとに細かい部分で色んな工夫がなされている)。

 

その中でもICOはプレイヤーの感情とシステムの結びつけ方が絶妙過ぎて、とにかくピンチが訪れる度に必死にさせられ、アドレナリンがものすごい勢いで分泌されているのを感じる。まさに感情に訴えかけるゲームの真骨頂をここに見たような気がした。(セリフやシナリオ要素がほとんどないのに、システムのみでそれを表現している)

 

長々となってしまったが、このゲームの本質は「女の子を守るために必死になれる瞬間」にあると僕は感じた。

 

もう少し突き詰めると「大切な人を守るために必死になれる瞬間」とでも言うべきか。

 

感情のトリガーとして男女の情緒を利用しているため、男性の方がより没入できる作りになっているのだけれど、庇護欲のある人なら女性でも十分楽しめるはずだ。

 

最後に。

ゲームの中だけじゃなく、現実でも「大切な人を守るために必死になれる瞬間」が訪れれば良いんだけれど……。

 

セーブポイントは二人がけのソファ。ビジュアル的にもオシャレだし、情緒もバッチリ。一人で先に進んでも、少女を隣に座らせないと(ちゃんと連れてこないと)セーブできない仕様になっているシステム設定。完璧な演出。