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「人生」「物語」を中心テーマに、日々感じたこと、考えたことをなんでも書き綴ります。

ドラクエコンサート 後編

前回からの続き。

 

戦火を交えて〜不死身の敵に挑む。が圧巻過ぎる

打楽器こそが臨場感の肝なのではないだろうか。
オーケストラの生演奏初体験者の僕は、生意気にもそんなことを感じとった。

あらゆるものがデータ化できてしまえる情報過多の現代において、生の演奏に求められていることってなんなのか。
今の技術なら、高音質で録音したものがほとんど生の演奏と変わらないレベルの音質で再生できるんじゃないだろうか。(少なくとも僕の耳には多分違いが分からない)
わざわざ現場まで運んで、生の演奏でしか味わえないものってなんなのかっていうのを考えていくと、それはもう「熱」とか「臨場感」とか、その場に足を運んで実際に体験した人にしか分からない皮膚感覚なんだと思う。

それを特に強く感じられたのが通常戦闘曲とボス戦闘曲の二曲、「戦火を交えて」と「不死身の敵に挑む」だった。

その要因が、僕は打楽器にあると分析したのだけれど、これは単に上記ニ曲+序曲を除けば、全体的に静かで穏やかな演奏が多く、結果的に打楽器が参加していない。つまり、オーケストラの演者が余すことなく演奏に参加している曲(瞬間)が臨場感と熱を最も感じられるという、ごくごく当たり前の話に帰結するのかもしれない。

ただ、打楽器系は音だけでなく、腹の底にまで響くような振動を伝えるので、より臨場感に貢献していることは間違いないとも思う。

戦火を交えて」は、心の中に眠っている本能を掻き立てられ、こんなにも平和な世の中で、のほほんと暮らしている自分にも闘争心があるのだなぁと、よく分からない感心をさせられたり。戦闘が長引いた時にだけ聞ける、サビ部分の盛り上がり方は神の領域。

ドラクエ全楽曲の中でも屈指の名曲「不死身の敵に挑む」は、まさに目の前にとてつもない強敵と対峙しているかのような錯覚を覚えるほど、息を呑む、凄まじい迫力を備えていた。

もう、この二曲の演奏を聴いただけで、「ああ、なんだかんだ言っても、RPGの面白さのメインは戦闘にあるんだよなぁ」と、そんなことを否応なしに感じさせられる素晴らしい演奏の連続。

力強く大胆に指揮棒を振るう飯森氏の背中は、戦火の中に身を置き、不死身の敵と相対している戦士のそれに、僕には見えた。

全ての音が寸分違わず途切れ、演奏が終わった瞬間、指揮棒と弦楽器の弓が天井を向き、一斉に動きを止める。それまでの爆発的なエネルギーが、まるで嘘のようにピタリと止み、静寂が訪れる瞬間。あの余韻こそが生オーケストラの醍醐味ではないだろうかと、僭越ながらそんなことを感じたりもした。


・音の不思議(ちょっと変な話)


歌詞のある歌に感情を刺激されるのはなんとなくわからなくもない。
それが音だけで感情を表現したり、揺さぶられたりっていうのが、改めて凄いというか、不思議だと感じる。仮にゲーム未プレイでも、悲しい音楽は悲しく、楽しい音楽は楽しく聴こえると思うんだ。
もちろんこれは、ゲーム音楽に限ったことじゃなく、クラシックをはじめとする全ての音楽がそうなんだろうけれど。不協和音を聞けば心を掻き乱されるし、心地よいメロディには癒しの効果さえある。小っ恥ずかしい詞もメロディに乗せれば案外すんなりと歌えたり、音って一体何者なんだって、そんなことを考えさせられたりする。
考えは、巡りに巡り、そもそも人間が何かを感じるっていうのは、五感から感じとった情報の刺激なわけで、それら一つ一つを精査していくと、結構面白かったりする。
視覚も聴覚も嗅覚も味覚も触覚も、動物的な観点から見れば、全ては生きていくために欠かせない器官に過ぎない。けれど、人はそれらから様々な感情の反応を引き起こす。
文明が発達するほどに、人は、これらの器官をより娯楽的で趣向性の高いものへと使うようになっていく。
そんなことを思ったり。

音を楽しむのもそうだし、もっと単純なところで言うと料理。食べれるものと食べられないもの(あるいは体にとって害のあるもの)を分別するための味覚を、現代人は美味しいものを食べるために機能させている。これからはそういう、より美味しいもの、より面白いこと、より楽しいことがどんどん求められていくようになるんだろうなと思ったり。(すでにそうなっている?)
この辺り掘り下げていくとすごく長くなりそうなので、このくらいで締めておく。

 

 

・30年間積み重ねたもの

初代ドラクエがリリースされたのは、ファミコンの時代。使用できる音源は一度に3トラックまでという制約の元、多くの作曲家達がゲーム音楽の作曲依頼に難色を示す中、すぎやま先生はあっさりと依頼を承諾し、ゲーム音楽の歴史をその手で切り開いた。

当初はドラクエそのものがヒットするのかどうかも分からない状況。本当に小さな部分からの発進だったはずだ。それが、30年の時を経て、大ホールをあっさりと埋め尽くす数の人を集め(それも全国で)、オーケストラによるコンサートが行われている。
そう思うと、もの凄く感慨深い。
すぎやま先生のこういう姿勢から学べることって、いっぱいあると思う。
御歳86(本人はレベル86と表現して会場の笑いを誘っていた)らしいけれど、この先も末永く走り続けていただきたい。

 

最後に

オーケストラの素晴らしさを体感するとともに、改めて、ゲーム音楽RPGドラクエの魅力を実感することができた。

そんな、素晴らしい一日だった。

来年も三重県でコンサートが行われると良いのだけれど。

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