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「人生」「物語」を中心テーマに、日々感じたこと、考えたことをなんでも書き綴ります。

ドラクエコンサート 前編


死ぬまでに行ってみたいと思っていたドラクエコンサートが三重県で開催されるということで、迷わずチケットを予約購入。しかも、交響組曲が僕の一番好きなシリーズである「ドラゴンクエストⅤ〜天空の花嫁〜」ということで、自意識過剰とは思いながらも、運命を感じずにはいられなかった。

 

 

・夏の陽射しを受けながら、電車とバスに揺られること約二時間

 

津市の文化会館へと到着。さすがは県庁所在地なだけはあり、周囲の建物も文化会館自体もデカイ。

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会場は世代も性別もバラバラの、まさに老若男女で賑わっていた。中には外国人もいたりと、縦にも横にも幅広いドラクエの人気が伺える。

 

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案内板の写真を大勢の人が撮っていた。捻くれ者の僕としては、つい釣られて撮ってしまうことを悔しいく思いながらも、こんな機会もう二度とないかもと思うと、スマフォを取り出さずにはいられなかったり。

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入り口の前にはドラクエチームからすぎやま先生への花束が。

 

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さすが県庁所在地にある県内屈指の文化ホールなだけはあり、会場の大きさや高さは目を見張るものがある。(写真に撮ると、今ひとつ高さや奥行きがでない……)

 

ところで、飲み屋で偶然隣の席に座った人と趣味嗜好が一致し、意気投合して朝まで飲み明かす。なんて話があったりする。

会場に集まった人たちは、ほぼ例外なく『ドラクエ好き』という共通点があるわけで、

 

「いやー、僕はシリーズの中でも〇〇が好きで」

「あのシーンは良かったですよね〜」

 

みたいな会話が起こっても不思議ではないのだけれど、打ち解けようという雰囲気が起こらないのは時代性なのか、あるいは僕の知らないところではそういうことも起こっていたのだろうか。

打ち解けようとするどころか、何故か隣り合わせになった人達がボソリと話すドラクエ知識を小耳に挟みながら「いやいや、それくらい俺も知ってるよ」みたいな、謎の対抗心が芽生えたりするのが笑えてしまう。

 

きっと誰もが自分が一番ドラクエ大好きって気持ちで会場へ集った勇者達だったんじゃないだろうか。昔は流通の都合から、ゲームショップにドラクエを買い求める人で溢れかえったり、他プレイヤーの存在を意識する場や機会が存在したのだろうけれど、昨今はそういう機会も薄く。認識の上では存在していた全国のドラクエ大好き達がワラワラと集まっている(実体化した)ことが、なんとなく新鮮であり、なんとなく不思議で奇妙でもあった。

 

そんなことを感じながら、いざ会場入り。

 

 

・序曲に震え、愛の旋律に哀愁を感じ、戦闘曲に呑み込まれる

演奏は日本センチュリー交響楽団。指揮者は飯森範親氏。
舞台の中央、壇上で指揮棒を振るう飯森氏はまさに蝶のように舞い、蜂のごとく刺すかのようなキレッキレの動き。鮮やかかつ情熱的で臨場感のある飯森氏の指揮とリンクする日本センチュリー交響楽団の華麗な演奏。

弦楽器の優しく繊細な旋律、力強い管楽器の音色、打楽器が心踊るリズムを刻み、会心の一撃とばかりにシンバルが合いの手を入れる。

CMでもお馴染みのあの「序曲」が、プロの手によって目の前で奏でられる様に僕は感動のあまり鳥肌を覚えた。(しかし、人間の体はなぜ感動すると鳥肌が立つのだろうか)

まさにドラクエコンサートの開幕を彩るにふさわしい、冒険の始まりを予感させるワクワクドキドキの素晴らしい演奏で口火が切られた。

会場の盛り上がりは、早くも最高潮。

演奏は「王宮のトランペット」へと続き、街や村、果てはカジノの音楽まで、観客達をドラクエⅤの世界へといざなう。

聴くだけで楽しくなったり、哀しくなったり、ワクワクしたり、晴れやかなきもちになったり。ゲーム音楽はゲームのとあるシーンやプレイしていた当時の記憶に繋げることができる。音と体験の融合とでも言うべきか、そんな無限の可能性を秘めていることを改めて感じさせられる。

 

・愛の旋律

ゲーム中、主人公が花嫁を選ぶ前夜に流れるBGM。

改めてオーケストラの生演奏で聴くと、この曲から揺れ動く『葛藤』の気持ちが感じとれる。すぎやま先生はその部分を表現しようとして作曲したのだろうし、今さらそこに気付かされる自分は大概鈍すぎるんだけれど、僕はなんだかこの音楽が、主人公(プレイヤー)の気持ちを表現したものではなく、主人公の幼馴染である花嫁候補の一人ビアンカの気持ちを表現したものなんじゃないかと思い至り、弦楽器の優雅な音に耳を傾けながら、感傷に浸ってしまった。

ゲーム内でも花嫁候補二人の心理描写の対比は如実に表現されている。前夜、ベッドの上でスヤスヤと眠るフローラに対し、ビアンカは「なんだか眠れないの」と呟き、別宅の窓から夜空を見上げる。

セリフの節々やフローラを選んだ際も独身を貫くなど、ビアンカが主人公に恋をしているのは明白。しかし、万が一にもその気持ちを主人公に打ち明けてしまったら、彼は純粋に花嫁を選ぶことができない。(ビアンカは主人公に恋をすると共に、一人の人間として愛してもいた)

自分のことを選んで欲しいという乙女心と、主人公に幸せな道(本当に好きな人)を選んで欲しいという幼馴染としての思いの狭間で、様々な葛藤が起こっていたことは想像に難くない。

そして、主人公はあくまで選ぶ側の立場。おまけに、どちらを選んでも良妻に恵まれるのは確約されているのだ。こんな贅沢な悩みを葛藤などと呼んでいては、全国のモテない男どもから呪い殺されても文句は言えないだろう。

よって、この晩、最も心揺れ動いていたのは、フローラにあらず、無論、主人公でもプレイヤーでもなく、ましてやルドマンでもあるはずがない。

ビアンカだったのだ。

そう考えると、この音楽の題名が『愛の旋律』と名づけられているのにもしっくりくる。

などと、ビアンカ派の僕は勝手な解釈を頭の中で巡らせながらこの音楽を聴いた。すぎやま先生も、まさにそういう視点で作曲していたのだとしたら、かなり嬉しいけれど、流石に無理やり過ぎる解釈だろうか……

 

少し長いので、次回に続きます。