子供の頃は
何でもできるような気がしたし、何にでもなれるような気でいた。
もちろん、30歳近くにもなれば、そんなのは現実を認識できていない子供の「思い込み」だって理解してはいるのだけれど、そんな風に考えてしまう自分、理解してしまっている自分がちょっと寂しい。
ふと思ったこと。
子供って、ほんとに元気でエネルギーに溢れている。
特に朝っぱらの異常なテンションの高さとか、元気とか、大人にはなかなかないものだと思うんだ。
きっと、自分も子供の頃は朝からめっちゃ元気だったり(あまりそんな記憶はないけれど)今では考えられないような無茶なことをしていたのだろう。(そう言えば、小学五年生くらいまで年中短パンで過ごしていたなぁと思ったり)
大人に近づくにつれて、いい加減朝っぱらから騒ぐなんてみっともないよな(こういうことは中学生くらいから意識するようになった気がする)だとか、そういう考えが最初に生まれて、そういう日々を過ごすうちに、いつの間にか元気の出し方を忘れて、元気のない朝が当たり前になって、今はもう朝からはしゃごうとしてもあんな風にエネルギッシュになれない気がする。
まぁ、まだ自分の中で格好をつけたり、理性を働かせている部分もあるんだろうけれど、よしんば一日そういう日を過ごせたとしても、翌日も続けられるかはかなり怪しい。
そもそも子供は「朝から元気を出そう」などと考えずに、自然と元気を作り出しているわけで。「朝から元気を出そう」と意識して作り出した元気は、もうその時点で純粋なエネルギーではない気がする。
きっと、子供が朝から元気なのは、毎日新鮮なことだらけでワクワクしているからなんだろう。
子供の頃は、現実を悟った気になって、それなりのところで落ち着いて、夢も希望も持たずに疲れた顔で毎日を過ごす「つまらない大人」なんかにはなりたくないし、決して自分はそんな風にならないと思っていたはずなんだ。
なんだかそうやって、大人になる過程でいつの間にか忘れてしまったことや、どこかに置き忘れてきてしまったものがたくさんある気がする。
必要ないものならいいけれど、大切なものはなるべく失わずに進みたい。
もちろん、大人になる過程で手に入れたものや、拾い集めたものもたくさんあるのだけれどねぇ。