コミュニティを結束するバンドの正体
なんだか小難しい話を書いてみたくなった、というわけでもないのだけれど、常々コミュニティというものについて考えることは多かったりする。
コミュニティは、人にとっての”居場所”だからだ。
家族、友達、職場、学生ならばクラスや部活や同好会なんかが存在する。
各コミュニティには集まった人間を束ねるバンド(結束線)が存在すると思う。
それは何か一つ明確なもので表せるわけではなく、配合比率が複雑で曖昧なものなのだろうけれど。
友達と仲間の違いは何かと問われれば、価値観や共感性に比重を置いて形成されているのが友達というコミュニティ。
その価値観や共感性をベースに何かしらの目標を共有していれば仲間というコミュニティになる、と今の僕は考えている。
これは目標を共有している分、仲間というコミュニティの方が優れているという話ではない。
特に目標を共有しているわけではないのだけれど、一緒に居て心地良い”友達”というコミュニティの存在は、先行きの見えない不安定な人生に置いて最良の味方になってくれる。
家族というコミュニティの難しい所は、最も身近な場所にあるコミュニティなんだけれど、結束しているバンドの正体が”価値観”や”共感”ではなく”血の繋がり”だからだったりするんじゃなかろうか。
ふと、そんなことを思った。