すべてが僕のチカラになるブログ。

「人生」「物語」を中心テーマに、日々感じたこと、考えたことをなんでも書き綴ります。

僕たちは世界を変えることができない

タイトルに惹かれて視聴した7年前公開の映画。

 

向井理が演じる医大医大生の主人公がカンボジアに学校建設の計画を通して、自分のちっぽけさ、自分という人間がどんなに泣こうが喚こうが叫ぼうが世界に何ら影響を与えることはできないということに気付かされながらも、その現実を受け止めて仲間たちとともに一歩成長する青春の物語。

人のために何かをすることの難しさ、人のために何かをできる素晴らしさ、生きることの喜びを感じさせてもらえる。

 

以下、詳細部分で長いのここまでの文面で気になった方は映画を観ていただき、その後ででも読んでいただければと思う。

 

主人公が「何か人とは違う特別なことを成し遂げたい」という青臭くて軽薄でありがちな動機から始まったカンボジア学校設立計画。

建設費150万円を集めるために、資金調達やメンバー集めに奔走する序盤。

とにかく気持ちが先走り過ぎたり、物事を深く突き詰めて考えずに動き出した結果抜き

差しならない状況に陥ったり、あるいは観光旅行気分で向かったカンボジアの現実を目の当たりにして傷心したりと、なんだか昔の自分(決してこんな行動力はなかったけれど)を見ているみたいで、世界的に見れば非常に恵まれた環境にある日本の若者の浅はかさみたいなものを如実に突きつけられているようで、歯痒く痛々しくもあった。

それと同時にこの無謀な行動力が若さのエネルギーなんだよなぁとも感じさせられるのだけれど。

 

慈善活動を行う時には常に「感謝されて気持ち良くなろうとしている自分」との戦いがあるように思う。真に相手を思い遣る気持ちよりもそれが先に立ってしまうと、ボランティアは体を繕っただけの空っぽな偽善に陥りやすいように思う。

この辺りの主人公達の浅はかさを目の当たりにした阿部寛演じる解剖学の先生は医学生の技術向上のために並ぶ検体を前に「未熟な学生のためにメスを入れられた上、一切の金銭ももらえない。検体こそ偽善の入る余地のない真のボランティアだ」と糾弾する。

そしてこれはボランティアに限った話じゃなく、大切な人(家族や恋人や友人)に何かしてあげたいと思った時にも通じる話だと思う。

良い行いをしたり、感謝されて気持ち良くなるのは人間が社会を形成する上で非常に重要な心理だから決して否定されるものではない。重要なのは相手と自分、両者が特をできる喜びの擦り合わせみたいなものだと思うけれど。

 

原作者の実体験がベースになっているらしく、カンボジアの現状を描く部分は非常にドキュメンタリーチックになっている。特に通訳謙ガイド役として登場するカンボジアのおじさんが非常に良い味を出している。

 

物質的な貧しさは決して心の貧しさに直結せず、むしろ大変な境遇の中で助け合いの精神、豊かな心を育むことにも繋がる。

 

そんなことを感じさせられた。

 

最後に、やっぱりタイトルがとても良い。

 

僕たちは決して世界を変えることができない。

 

そんな大きな力を持った特別な存在じゃない。

 

けれど、それでも、誰かのために必死になることはできる。

 

目の前の大切な人をたとえ一時でも笑顔にできたなら、喜んでもらえたなら。

 

それは世界を変えられないちっぽけな存在の僕たちにとって、最高の幸せに繋がるはずだ。