日記を書いておくのは、大事だと感じる瞬間
去年、僕は色々と日記を書き残すということについて模索していた。
日記のハウツー本を読んだり、僕の好きなゲームMOTHER2のデザインカバーを付けた手帳を購入したりと、日記を楽しく面白くつける方法を探していた。
しかし、毎日日記を書くという習慣は残念ながら身につかなかった。
そもそも、なぜ日記を書こうと思い立ったのか、その根拠が明確ではないようにも思う。
恐らく、日々の小さな気づきを大切にし、成長していく自分の過程を記しておきたかったのだと思うのだけれど……そうなってくると、何か特別な、意味のあることを書き残そうと意識しすぎて、書くことを難しく捉えすぎ、結局何も書けなくなる。
書かない日が一日できてしまうと、翌日も書けない、書かない、日記帳を手に取るのが、開くのが、億劫になるという連鎖だったように思う。
この辺りに関しては、日記を書く技術や習慣の作り方を参考に改善していくべきなのだろう。
そちらについてはともかく、途切れ途切れになっている日記を読み返していると、その時々で悩んでたことや必死になっていたこと(今思えば、驚くくらいなんでもないことで悩んでたりする自分がいる)、あるいは風邪を引いて体調が悪化したことなど(一年後には本当に忘れていたりする)を思い出す。
振り返った期間が一年程度だったから思い出すに近い部分もあったけれど、”かつての自分と再開する”と表現した方がしっくりするように思う。
”過去の自分”は遠くなればなるほど、”別の私”になっていく。
その”過去の自分”と”今の自分”を繋ぐのが、日記の役目の一つなのかもしれないなと思った。
”過去の自分”と”今の自分”の変化の軌跡を振り返ることに意味があるのかないのかは分からない。ただ、僕にとってはわりと重要なことのように思う。
日記には、西洋医学の薬のような即効性はない。けれど漢方薬のように後からジワジワと効力を発揮する、と心得て日々を綴りたい。