ミニマリズムの実践
最近、モノを減らそうと思いはじめた。
毎日10分、部屋を片付ける時間をつくり、部屋の中からモノを徐々に減らしている。
きっかけは、習慣づくりの回で取り上げた佐々木典士さんの「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」を読んだこと。
この本を読む前から薄々思っていたことではあったが、読んだことにより改めて、ヒトとモノ(所有物)は色々な部分で直結しているんだよなぁ、と感じさせられた。
僕は昔から整理整頓が苦手で、部屋はもちろんのこと、パソコンのデスクトップやフォルダ、スマホやタブレット内のアプリもすぐに雑然としてしまう傾向にある。
本書にも書かれていたが、不必要なモノやデータが溢れかえっている状態というのは、間違いなくその人の思考内部を体現していると僕もそう思う。
基本的に面倒くさがりで使わなくなったものを捨てる習慣がなく、置いておけるスペースがあるならとっとけの”もったいない精神”が強い。
そのため、いつしか部屋もパソコンも不必要なモノやデータで溢れかえることになる。
とはいえ、モノが少ない人=ミニマリストというわけでもない。
この本(著者)の素晴らしい点は、モノが少ないこと=ミニマリズムなのではなく、自分に必要なものは何かを見極めて生きることがミニマリズムの本質だと説いていること。だから、モノが少ないことを自慢することに意味なんてないし、モノが少なければ良いというわけでもない。
ミニマリズムの本質は、”自分にとって本当に大切なことは何か”を明確にすることだ。
自分の価値観が明確でなかったり、自身に執着する気持ちが所有物にまで浸透すると、捨てられない病が発症する。
そして、使わないものに満ち溢れた汚部屋や不要なデータが散在する気品のカケラもないデスクトップができあがるというプロセスを辿ることに繋がる。
逆に言えば、”自分にとって本当に大切なことは何か”、その優先順位を明確にできていれば、部屋が不要なモノで溢れかえるという状態は避けられるはずだ。自分にとって本当に必要ならば、部屋がモノで溢れかえったって良いのである。
ミニマリズムの思想に関して触れることで、本当に色々なことに気づかされた。
僕はこれから、なるべく不必要なモノを削るということを意識的に行うことになるんじゃないかと思う。そうすることで本当に大切なモノ、かけがえのないモノが何なのか、自分の価値観がより明確に見えてくることに繋がると思う。
しかしながら、それと同時に、ヒトは不必要なモノ(物理的なモノに限らず)を抱えながら生きてしまう生き物だとも思う。そこに人間らしさがあるように思うし、僕という人間の核を表しているようにも思う。
フィクションを観ていても、僕は不必要なモノを抱えて生きてしまっているキャラクターに共感したり、あるいは情動を掻き立てられることが多い。
ここを掘り下げていくと、何か面白いモノが見えてくるんじゃなかろうか。