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インターステラーとsteins gate に観る相違点

現在放映中のシュタインズ・ゲート ゼロを観ている。

 

原作はもう7,8年近く前のものになっている。

当時はSFとしての面白さやグイグイと引き込まれるサスペンス展開、伏線が見事に回収されていく練り上げられたストーリーばかりに目先が行っていた。

 

それがここ最近ゼロや劇場版〜負荷領域のデジャヴ〜を観ていて、シュタインズ・ゲートの面白さは近未来科学を題材にして人の思い(強い感情)を描くという部分に有るんだと、今さらながら気づかされたわけである。

 

その”近未来科学を題材にして人の思い(強い感情)を描く”というのが、インターステラーと同じテーマを扱っているように感じた。

 

特に「劇場版〜負荷領域のデジャヴ〜」では、ヒロイン・牧瀬紅莉栖が科学者の立場としての信念に抗い、何者でもない己の信念や気持ちに従い、想い人の岡部倫太郎を救い出すという物語である。

 

インターステラーの名場面そうなんだけれど、常日頃からデータや客観的事実を元に合理的な判断を下すことを求められている科学者の彼女達が科学者としての自分を捨てて、”私”という存在の、理屈も裏付けも根拠もデータも何一つ存在しない、ただ内側から沸き起こった論理や合理性のカケラもない熱いハートによって突き動かされるキャラクターの姿が心を揺さぶる。

 

SFには難しい話も多く、理系的な冷たいイメージがあるけれど、そこに描かれている主軸が”人間”であるならば、熱い話はいくらでも作れるんだなぁと感じさせられる二作の共通点。