人はなぜ嘘をつくのか
以前、そんな見出しの書かれている雑誌を読んだ。
端的に言うと、嘘をつくことで何かしら利益が得られると思っているからというのが大体の理由。嘘をつく理由の役90パーセントは自分のためであり、約5パーセントは他人のため、残りの5パーセントは何故嘘をついたのか自分でも良くわからないというグラフが載っていた。
90パーセントが利己のために作られる嘘の中で、他人を庇ったり気遣ったりするための5パーセントに人間の救いを感じられたような気がした。
この5パーセントがあるから、僕は自分も含めて人間というものを心底嫌いにならずにいられるのだと思う。
知らないふりだとか、気づかないふりだとか、真実を伝えないということをあえて選択するのは、思いやりの中から生まれるものだと思うから。(これらが嘘であるかどうかは別として心はざわざわするよね)
自己保身だとか見栄だとか人間関係だとか、大人になれば、社会で生きて行くために時として嘘をつく必要にかられることがある。その一方で、嘘はいけないことだと教育もされる。嘘はアウトだけど、脚色(いわゆる盛るという行為)はセーフと見なす動きもある。虚偽の情報を伝えることは当然嘘になるけれど、真実を隠すことは嘘ではないという見方もある。
この辺り、何が嘘で何が嘘じゃないか、もの凄くグレーで曖昧だったりする。着目すべきは、嘘か嘘じゃない云々よりも、その情報によってもたらされた結果なのかもしれないけれど。
今ほぼ日で掲載されている「嘘ってなんだ?」の中で、マジシャンの人が嘘にはコストがかかるから、正直に生きた方が得をする可能性が高いという見方も非常に面白い。
嘘をつくことはいけないかどうかは別として、嘘をつくと心が落ち着かないし、嘘を突き通す人生なんてのは、なんだか悲しい気もする。人は他人だけじゃなく自分自身をも欺き通すことができてしまうからね。
なるべくなら、自分にも他人にも正直に生きられるの良いと思うんだ。