すべてが僕のチカラになるブログ。

「人生」「物語」を中心テーマに、日々感じたこと、考えたことをなんでも書き綴ります。

久しぶりに、夏風邪を引いた

 

夏風邪の厄介さ

夏風邪を引いたのは、果たしていつ以来のことだろうか。

 

風邪を引くと、当然熱が上がるわけなんだけど、夏に熱が出ると結構厄介だったりすることに気がついた。

 

冬はストーブなどで部屋を暖めて布団に潜り、とにかく身体を温めるように努めて眠れば良い。ところが夏はクーラーを付けていないと寝れないくらいに暑く、それなのにクーラーを付けると身体が悪寒を感じてゾクゾクと寒気がする。脱水症状を起こしかねないくらいに汗をかいているにも関わらず、クーラーから吐き出される冷気がまるで心地良く感じられない。

 

身体が矛盾を引き起こし、クーラーを付けては切り、切っては付けるを繰り返していた。(これってうちのクーラーが古くて調整機能が弱ってるせいもあるのだろうか……)

 

共有できない主観の感覚

いきなりな問いかけではあるけれど、幸せって、そもそもなんだろうか?

 

毎日健康に過ごせること、好きなことを思いっきり楽しめること、美味しいものをお腹いっぱい食べられること、大切な人と一緒にいられること。

 

その形とか定義だとかは人それぞれ違う。

 

近年、僕が気づいた幸せの形の一つに他人との共感覚というものがある。これは、仏教でいうところの自他の境がなくなるというものに相当するだろうか。(ちなみに僕は仏教の教え自体は良いことを言っていると思うし、教訓にはするけれど、宗教自体を信仰してはいない)

 

例えば、団体競技の連携プレーがスムーズにとれただとか、音楽のセッションが上手く演奏できただとか、あるいは美味しいものを皆で囲んで食べたり、同じ映画や漫画や小説を見て同じように感動できた瞬間、人は心地良さを感じる。

 

別々の意思を持って生きている人間が、ある瞬間、ある一点で繋がる感覚。それが一つの幸せなんじゃないかなと。

 

それを念頭に置いて、風邪の話に戻す。

 

風邪と一括りに言っても、その症状は様々なわけで、みんながみんな全く同じ風邪にかかるわけではないし、仮に同じ風邪にかかったとしても、どのくらいしんどさを感じるかは人それぞれ。

 

だから、結局、自分の身体の感覚って、自分自身にしか分からないんだなぁっていうのが僕なりの見解で、身体がしんどくなった時(風邪に限らず)っていうのは、他人との乖離を感じやすくなる瞬間なんじゃないだろうか。

 

そもそも、身体がしんどいからイライラしているってことは当たり前なんだけれど、それ以上に周囲が楽しそうに笑ってることに対して、すごく疎外感を覚えたりだとか、自分と他者の意識が大きくかけ離れているかのような感覚に陥りやすい状態にあるように思う。

 

これって身体だけじゃなくて、心に関しても同じようなことが言える。精神的に参ってたり、ちょっと病んでたりすると周囲と上手く溶け込めなかったり、他人と自分は決して相容れない存在なんだと思い込んでしまったり。自他に壁を作ってしまう。心と身体は密接に繋がっているから、心身の健康ってやっぱり大事だなって思う。

 

最後に

と、せっかく風邪にかかったのだから、風邪にかかった時にしか感じられないこと、考えられないことを書き記してみた。

とにもかくにも、喉元過ぎればなんとやらというやつで、風邪なんかの短期的な体調不良っていうのは、その瞬間は結構苦しんだはずなのに、一月も経てばそのことをすっかり忘れていたりするのだから、良くも悪くも人間っていうのは都合良くできている。

 

ちなみに僕の風邪は、祖母に移った。

 

よく、風邪は他人に移すと治りが早くなるというが、そんなことはないように思う。現に、医者にかかってから一週間経つというのに未だに僕の鼻はグジグジと言い続けている。まぁ、夏風邪は長引くとも言うから、もしかすると多少は治りを早めてくれたのかもしれないが。(そうでも考えないと、移された方が報われないから迷信ができたのかもしれない)

 

しかし、いかんせん祖母も80半ばの老体なので、少し心配ではある。その一方、風邪は移すことができるから、ともすればしんどさの共有ができるのだな、などと考えてしまったりもしている。